郭氏元経っていったい誰が書いたの?

2021年2月26日

干支九星学や気学の原典として良くあげられる「郭氏元経」と言う本がありますが、これは、名の通り郭璞が書いてそれに門人の趙載が註を付けたと一般的に言われていますが、本当にそうでしょうか?
よーく読んでみると、先ず巻之一 五行運用篇 第二で「登明」と言うことばが出てきます。
この言葉は、宋の時代以降に出てくる六壬の十二神将の名前です。
もっと古ければ、「徴明」になっているハズです。
そして巻之三 太歳一星篇 第二十一で「即大統暦年神方位図」と出てきます。
この「大統暦」は、明の時代の暦で日本だと南北朝時代から江戸時代初期まで中国で使われていた暦です。
だからこの文章を郭璞や趙載が書くハズがありません。
この文章が東晋時代(300年代)のハズがありません。
多分、本の権威付けの為に、名前を借りたのでしょうが、あれだけの内容なのに、なんでそんな事をする必要があったのでしょうか?
不思議です。また、どういった目的で書かれたのでしょうか?
この本は、ただ読んだだけでは、まだダメで、ヒント的な内容から何を引っ張りだせるか、これが大切です。
そう言った意味でまだまだ私も付き合うべき本です。
気学や干支九星を勉強する人は、絶対に読んで下さい。
何年かかっても。
漢和辞典は手放せませんが。
多分、気学の原典は、「三白寶海」だと、読んだこともない人が良く書いているのを見かけますが、気学の知識だけでは絶対に読めません。
私は、「三白寶海」より「郭氏元経」の方が読みやすいと思いました。
「三白寶海」は、確かに九星が主ですが、風水や金函玉鏡の知識も必要ですから読むにはちょっと骨が折れると思います。
でもこれも読んだだけの物は絶対に残りますけど。

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