自己紹介

2021年7月22日

 

朱烈こと嶋田理宏です。
横浜市青葉区あざみ野在住です。
占い師暦20年以上です。
「気学考察」というブログを2006年1月より書き始めています。非常に不定期なブログですが、息の長いブログです。

普通は、自己紹介と言うと、自分にはどんな実績があって云々と書くのでしょうが、それでは面白くないので、自分が気学、干支九星にどうやってかかわっていったのか?を書きます。

まず、占いを始めたのは、36才の時からですから少し遅めです。
そして、まず最初は、私が占いを始める前に高校生の時に遡ります。その当時、私の家の前にアパートが建ち(今もアパートは有ります。)、そこの一室に大きな犬をつれた一人のおばあさんが住んでいました。
そして、そのおばあさんは、霊能力者とのことで、私の母親は、当時家で店をしており、買い物に来ていたこのお婆さんから「気学をやりなさい」と言われたそうです。
しかし、当時はインターネットもない時代ですから、しばらくは、どこで習えるのかも、どんなものかもわからないまま、時が過ぎて行き、しばらくして、やっと新聞の広告で小さく出ていたものを頼りに必死で気学というものを探し、勉強を始めたそうです。
しかし、当時私は、占いなんて絶対に信じない、と言うタイプでしたので、全く母親のやっていることには関心がありませんでしたし、むしろ否定的ですらありました。

しかし、きっかけとなる36才の時です。
母親から、吉方取りに行こうとさそわれ、余り気も進まなかったのですが、まあ親孝行と思い、富士山の方へドライブに出かけました。
場所は、富士山の北富士浅間神社です。
丁度寒い時期でしたので、空気は澄んでいて、空気が凍ってキラキラト輝いて綺麗で、平日だったこともあり、人も居なく、それはそれは荘厳な雰囲気であったのを今でも覚えています。
正直それまで、神社は、全く縁がないところでした。
そして神社で小一時間過ごして、近くに温泉があったので、温泉に入って食事をして帰って来ました。

それから数日が過ぎた頃、丁度吉方取りに行く前に仕事で、値段が高いからと断られた少し大きな案件のお客様から電話があり、「そちらにお伺いしたい」と言うのです。
その時、私は営業でしたので、当然「こちらからお伺い致します」と言うと、「どうしてもこちらから訪問させて欲しい」と言うのです。
なにかあったか?何かやらかしたか?と思いながら、上司と会社で待っていましたら、そのお客様が来て、「御社を一度断っておきながらなんだけれとも、是非御社に案件をお願いしたい。」と言って来たのです。
この様に、方位を取った後に、これは、もしかして吉方のおかげか?
と言う事例があり、これを母親に話すと、当時母親の気学の先生が、「それは吉方取りの影響です。」と言って来たのです。
さすがに、占いなんて、方位なんて信じない、と言っていた私もこれは何かあるぞ、と思ってしまったのです。
これが占いを私がやりだした大きなきっかけです。
(しかし、この時の吉方は、後でわかったのですが、吉方であり、凶方もであったのです。その証拠に私は、この案件の途中で、別のお客にはめられて転勤を明示られて最後までかかわることが出来ませんでした。そして当然その案件も没となったのです。しかしこれは、干支九星を学ぶまでわかりませんでした。)

それとやはり、営業をしていると、人間関係に疲れたところがあって、生年月日さえわかれば、おおよそどんな人が解るならば、対処もしやすいと言うのもありました。
そんなこんなで、気学の勉強は、当時、母親が録音して来たカセットテープとノートで勉強しました。
この時の先生が、小田紫央先生とカナール先生です。(お二人とももう他界しております。)
この時出会ったのが、傾斜観法と流年法で、当時は、珍しいものでした。

そして、気学は、園田真次郎という人が作ったものというので、この人の本は?この人の気学はどんなものだろうと考える様になり、園田真次郎先生の本や、そのお弟子さんである中村文聰先生の本を読む様になりました。その頃は、本屋と言えば、神田神保町の原書房さんで、休みの度に本を買いに行きました。新しい本も買いましたが、古本で安い本があれば、そちらを積極的に買いました。そのころは、まだフレッシュなので、店にも入りづらくて・・・・。
でも、本棚の本をレジに持って行くと、同じ本でもっと安い本もあるよ、!って裏から出して来たりしてくれて、親切にしてもらったこともあります。

当時、原書房の番頭さんは、おじさんとおばあさんで、おじさんに一度方位の事を聞いたことがあり、その時には、「動く場合の方位は30°60°で、家相の様に動かない方位は45°で取るんだよ。」と大きな声で言われたことがありますが、その時は、そうなんだ、としか思いませんでした。(今は店員さんも若返っていますね。)
それとか、若い番頭さんが、他のお客さんに「うちで扱っている本は、専門書だから!」と言っているのを聞いて、最初は「えっ?」て思いましたが、良く考えてみると、自分が読んでいる本を、会社の人達や近所の人達が読んで中身を理解出来るか?と考えた時に、「確かに理解出来ないよな~、だからやっぱり、専門書か!」と思ったのも覚えています。
そして、方位学には、気学の他に奇門遁甲という方位学があると知って、遁甲の本も読みました。遁甲は、昔戦で使った方位学というのが、魅力を掻き立てるものでした。
今考えるとアホとしか言いようがありませんが、当時は、結構のめり込んでいて、黒門さんの通信教育に16万だったかな?つぎ込んだとおもいます。アホですよね。でも当時は、今の様に情報も本も余りない時でしたから、新鮮でした。そして遁甲と言えば香草社だったので、門を叩こうと思って、授業の事を聞くと、授業の録音は出来ないとの事なので、そんなケチ臭いところはやめました。今考えれば、行かなくて良かったです。当時は、学校や教室で土日やっているところと言っても、なかなか見つけられませんでした。
この様に気学をやりながら、気学の周辺を結構フラフラしていました。

後、仕事で大阪出張の機会があった時、一度だけ、時間があったので、中尾書店さんにも本を買いにいった事はありましたが、ここの店主さんは、すごく物腰が柔らかい人で小さいですが、良い感じの店だったのを覚えています。

そうこうしている内に、気学はいいのだけれど、どうも干支の使い方に疑問が生じて来て、奇門遁甲などもやりましたが、当時は、まだ情報も少なかったので、方位しか出来なくて、つまらなくなってしまい辞めてしまいました。
この時も気学はずっと続けています。

そして、気学を勉強していて、どうも干支の使い方に疑問を持ちだしていて、どうも気学は、干支を軽視しすぎるのではないか?と思っている時に、インタネットで鴨書店のホームページを見ていて目にした望月治先生の「干支学原理」という本があることに気づきました。
本の題名からしても私の求めていたものにピッタリの様な気がしました。
もしかしたら、この本を見れば、何か干支の違う使い方がわかるかもしれない、と勝手に思い込んで、わざわざ十条の鴨書店まで初めて、本を買いに行きました。
そして、干支の使い方をもっと知りたくて、お目当ての「干支学原理」を手に取り見てみると、中身は全文漢文の本ですが、きっと何とか辞書を引けば読めるだろうと言う簡単な気持ちで、その本を購入しましたが、月日が経てど、実際全くわかりませんでした。
それですから、しばらくは、この本は本棚に眠っていて、たまに引っ張りだしては、少し見てまた本棚に返すと言う繰り返しでした。
全く歯が立ちませんでした。
そして、とうとう、望月治先生の干支九星を知り、まず望月先生の定本の中の1冊を買いに行きましたが、これも気学だけでは、ちょっと良くわかりませんでした。
そこで、鴨書店にメールで、干支九星を勉強するのに何の本を読んだらよいかを問い合わせました。
因みにこの時、私の住んでいるところは、鴨志田町と言うところで、鴨書店の創業者は鴨志田儀三郎さんと言う方でしたので、勝手に鴨志田繋がりの因縁を感じていました。

話を元に戻して、メールの解答では、講義録で「実占講義録(S61)」と「鑑定実録」と言う講義録があり、「これが初級なので、これを読んでわからなければ、干支九星はわかりません。」との答えでしたのでさっそくこの2冊を読んでみました。
すると、これが結構わかりますし、まあここまで書くんだと思う様なことも隠さず書いてあるなあと驚いたのを覚えています。
これが干支九星の入り口です。これから少しず望月先生の本を神田の原書房や鴨書店で買い続けて読みましたが、読んだだけでは少しわかりくいところがあったので、本を読みながら、エッセンスをパソコンに移して、省略されているところは、自分の理解で付け足して、読みはじめました。それが約5年続きました。その間に望月先生の本は、ほぼ買ったと思いますが、この頃はまだ、望月先生の中古本は安かったんですよ。普通の本皆数千円でした。実際総合鑑定活断 全(紙が全部赤い本)と問わず語りだけが高い本でした。(中古なら)
それである程度、干支九星が理解できた段階で、平成20年4月に鴨書店で干支九星の先生を紹介してもらいました。
それが、今の林慶仁先生です。
月1回の勉強会ですが、平成20年5月より休んだのは、1回だけ、インフルエンザにかかり出られませんでした。
後は皆勤賞です。気づけば教室でも一番古株になってしまいました。
勉強会のノートは今でA4ノート40冊を超えています。

そして途中で、郭氏元経の解説本も自分の勉強のために書きましたが、これには、発見が多くて正直驚いたことろが多くありました。
これも本との出会いで、当時、神田で月1回の干支九星の勉強会があったので、どうしても勉強会の前は、原書房で古本をあさっていました。その時、1冊の古い和装の干支学原理を1,000円で見つけました。中を見ると結構勉強した後の書き込みや赤線が見られます。
これで何故か奮起されて、自分も郭氏元経を読んで見るか?と言う気になり、読みだしましたが、途中何度も同じ字を辞書で引いたり、調べたりするのが煩わしくなって、少しずつ訳しはじめたのが、きっかけです。

そうそう、話は前後しますが、干支九星の先生は、干支九星の本を読んで、その中の鑑定例をワードで書いての繰り返しを5年ぐらいやった後、鴨書店に本を買いに行き、と言うか、紹介して貰うのだったら買い物ぐらいするのが礼儀と思い、足を運んで紹介してもらいました。(要は、先方にその気がなくても、紹介を受けるにもお金を払って紹介してもらうという気持ちです。)ですから、先生の話も時々あの話は、望月先生のどの本に書いてあった話だなあと分かりましたので、復習もしやすかったです。
こうやって、気学から干支九星へと20年以上が経過し、今に続いています。
気学と干支九星は人生のライフワークです。きっと死ぬまでやってるんでしょうね。でも占いと言うものと出会ってよかった事は、会社の人達の多くが、仕事以外でやることがない時に、占いを知っていれば、時間はいくらあっても足りない事です。ヒマと言うことがありません。


 

 

Posted by 朱烈