九星盤にある小宇宙

2020年8月9日

気学には、太歳というものがありますが、これは、宇宙にある木星(ジュピター)と関係があります。
そしてこれを知っておくと九星盤の見方が少し変わると思います。
その昔、中国で年を数える方法として歳陽起年法と歳陰起年法という方法がありました。最初に使われたのは、歳陽起年法で、これは木星の公転周期を十点に区分してそこに十干を当てはめて歳を数える方法です。
その際、木星のことを「太歳」といいました。これは、古代中国の「爾雅」釈天篇の「歳陽」の項に出てきます。

また、その後出てきた起年法が歳陰起年法(歳星起年法)であり、これは歳陽起年法より用いられる様になりました。
この歳陰起年法(歳星起年法)では、歳星とは逆の方向に向かって進む仮想の天体を考え出しました。そしてこの仮想の天体が東から西に向かって12年間で天球上を1周することを利用してこの仮想の天体のことを「歳陰」とか「太歳」と名づけ、これに基づいた年の数え方を歳陰起年法(歳星起年法)と名づけました。
ここに出て来る「歳星」は、木星のことを表しています。それは、木星の公転周期が約12年(正確には11.862年)であり、光輝が強いことからであり、このことから年次の測定基準として使われる様になったです。
ではこの「歳星」と「歳陰」の関係ですか、「歳星」は天球上の十二次を西から東に向かって回ります。そして「歳陰」は、天球上の十二支を東から西に向かって回ります。ですから「歳陰」も12年間で天球上を1周することになるのです。
そして、歳星が回る十二次は、寿星(ジュセイ)、大火(タイカ)、析木(セキボク)、星紀(セイキ)、ゲンキョウ、シュウシ、降(コウル)、大梁(ダイリョウ)、実沈(ジッチン)、鶉首(ジュンシュ)、鶉火(ジュンカ)、鶉尾(ジュンビ)であり、歳星と歳陰は年初には一致するものとされ、歳星が星紀にあるときは歳陰は十二支の寅にあり、歳星がゲンキョウに進めば、歳陰は卯に進むと考えられました。(ですから、歳星と歳破は別もので一致しません。)しかし実際には、最初は歳星起法が用いられ、この十二次をもって年を表す名としました。十二次の星紀は、「冬至」に当たります。
(旧暦では1年は立春から始まりますが、この時代は、まだ1年は冬至から始まっていたのです。)
ですが、徐々に歳陰起年法の法が用いられる様になり、歳の名は十二支によることになりました。
この様に十二支は星の運行と密接な関係にあるので、「辰星」の見える方角にちなんだ呼び名でした。「辰星」は、「主なる星」という意味で、天空に輝く星の中で基準になる星という意味です。
つまり九星盤にある「太歳」には、こういう起源があり、「歳陰」が起源ということを知って九星盤を見ると小宇宙が描かれているのではないかと思えてきてちょっとしたロマンを感じざるを得ないのです。
しかし木星が辰星とされていたのは、古代中国の殷の時代で、周の時代になると北斗七星が辰星となりました。
十二支と1年12ケ月という周期が一致したので、月単位で十二支があてはめされました。
そして北斗七星の回転と方位と十二支あお結びつけたのが十二直です。
(十二直は日の吉凶を表すもので、建・除・満・平・定・執・破・危・成・納・開・閉です。)
冬至の頃、夕方、北斗七星の柄の部分(斗柄)が子の方(真北)に向かうので、この日を建子の月としました。この「建」は「建す」(おざす)と言う意味で「尾指す」と言う意味です。つまり北斗七星の尾である斗柄が十二支のどれかを指すと言う意味です。そして「月建」は、ここから生まれました。
つまり「月建」とは北斗七星と関係があったのです。
またこの北斗七星は北極星の間回りを1日1回転するのでこれを十二等分して時刻を判別するのにも使ったそうです。
どうですか?これだけでも九星盤の奥深さが見られるところです。
九星盤が何を表そうとしたのか、何か感じられませんか?

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