鑑定盤を書くことは立筮することと同じです

2020年8月6日

干支九星で、鑑定盤を書くという行為は、いわゆる周易で言うところの立筮といっしょです。
つまり周易で言う卦を立てる行為と一緒で、筮竹で卦を出したり、サイコロを振ったり、銭を投げたりと色々な立筮法がありますが、それと一緒の行為ということです。
そして、周易では卦を出す前に易の神様(易神)にお祈りをします。また一生懸命無心になる様に自分を追い込んで筮を出します。それは、立筮すれば、そこには易神がいて、卦という形で易神が答えを示してくれるから、占い師はその易神の示した答えを人間の言葉に置き換えて読むと考えるからです。
つまり、簡単に言えば、神様に筮を通して神意を聞くということです。
ですから、干支九星もそれと同様に鑑定盤を書くという動作で、その鑑定盤に神がいるか、いないか?ということを問題にして答えを易の神様に聞くと考えます。
所謂「神あり」「神なし」と表現されることです。
この盤は、「神あり」ですとか、「神なし」ですと言うことが読み取れます。
ですから、干支九星も立筮はしなくとも、真剣に盤を書いて鑑定するという動作に望めば、例えそこで占い師が盤を書き間違えたとしても、あるいはその他の間違えがあったとしても、そこには、神意があると言うことです。
真剣に鑑定していれば、何かしらの神意が働いて、わざと盤に間違いを生じさせたり、見方に間違えを生じさせたりしたと考えます。
しかし、盤を間違えたり、見方を間違えたりしたからと言って、それはいい加減な鑑定でダメな鑑定だとか、鑑定盤に出た結果が間違いか、というとそうではありませんし、逆に言うと鑑定をやり直してはいけません。
不思議とその間違った盤から出た答えが、その時の占いの答えなのです。そして、鑑定の依頼人にとっても納得の行く答えになるのです。
ということは、予め盤を立てておいて、お客さんが来たら、それを見て鑑定するという事もナンセンスです。そこには、鑑定盤を依頼があったその時間に書くという行為、立筮行為が省略されてしまうからです。
これが一つ干支九星の面白いところです。
干支九星も易の一種ですから、易と同じ様に、「再三すれば、瀆る。瀆るれば即ち告げず、貞に利ろし」です。
但し、チャランポランに盤を書いたり、や他の事を考えながら占ったり、他人からのまた聞きの問題についての鑑定だったりしたら、その時には、当然その盤には神はいませんのでキチンとした答えを鑑定盤は示してはくれませんので、的外れな答えとなります。