5月5日端午(たんご)の節句のルーツ

2021年2月26日

節句とは、元々は、「節供」と書いて、季節の変り目に神に供えた食物のことを指していました。また、中国では、「重日思想」と言って、同じ数字の重なる月日を忌み嫌ったため、神を迎えてお祓いをしたのが定着して節句となったと言われています。
→(気学でも同じ九星が同会した時は、凶とする流派もあります。)
そこで今日は5月5日端午の節句ですので、簡単に書きます。
まず、端午の節句は、本来は、陰暦の五月五日をさし、五月の最初の午の日に節句を行っていました。
それは、端午の「端」は「はじめ」を意味し、午は、午の日を指し、はじめの午の日を以って端午の日としていたからです。しかし午の日の午(ご)の字が、五に通じることから、いつの間にか、太陽暦では五月五日を端午の節句としました。
しかし、古代中国では、女性は労働力と見られていた為、節句とは、本来、その労働力としての女性に休養を与えるためのもので、悪魔をはらう「菖蒲の節句」も、もともとは女の子の日でした。
しかしこれも菖蒲が尚武に通じるので、その後、武家社会を中心に男子の節句と変わりました。
また、中国の楚の英雄である屈原の死をいたんで、その亡骸を運んだ鯉を称えたのが鯉のぼりの始まりで、その鯉に与えた餌を型どったものが、粽(ちまき)とのことです。
また、一方では、節句の意味は、牛頭天王が、蘇民将来に教えた巨旦(こたん)将来大王の調伏の儀式に使う材料を指し、その中の5月5日の菖蒲は、巨旦将来大王髭と髪を指しているとする恐ろしい話もあります。
よって、端午に関しては諸説ある様ですが、どうもルーツは、余り目出度い話ではない様です。

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