東洋の占い比較16選

2020年12月16日

こんな悩みはありませんか?
東洋の占いを勉強してみたいけれど、占いの種類が色々あって、いったい自分がどの占いを選べばよいのか良くわからない?
・自分の悩みは、どんな占いを選んで占ってもらえば良いのかよくわからない。

それぞれの占いには、得意、不得意が必ずあります。
そこで、私の知っている限りで、東洋の占いについての特徴をまとめてみました。
占いを勉強したいと思ったり、占って欲しいと思って、占いを選ぶ時にどうか参考にしてみて下さい。

命理占

・自分の一生の運勢を知りたいとか、
・自分の好調な時期をしりたいとか、
・自分の適職や結婚運など個別の運勢を知りたい

と言った様な場合には、この命理の占いを勉強したり、この命理の占いで占ってもらうのが適しています。
但し、この占いの欠点は、開運法がないことと、卜占が出来ないことです。
ですからそう言った点はどうしても別の占いを頼るしかありません。

四柱推命

四柱推命は、生年・月・日・時間の4つを使って、その人の一生の人生を占うという占術です。
今まで、色々な人が手を加えて来て、一人一派と言われるぐらいに命式の出し方、占い方が違い、何が、本当なのか?は正直わからないくらい開発されています。
そして、この占いは、今は生まれた日を自分として考えて、家族の事、仕事の事、金運、結婚運等の先天運を占うのと、大運や年運を用いてその人の一生の運気の流れを、通変星、十二運、神殺等を用いて見たりします。
しかし、この占いは、最初は中国の唐の時代に李虚中という人が始めた占いで、このころは、年干を本人として占っていましたが、宋の時代の徐子平が今の日干を本人として占うスタイルに変えたことから、今の四柱推命が流行しだしました。
日本では、江戸末期に仙台藩士の桜田虎門が中国の「淵海子平」を翻訳して「推命書」という本を出しだのが最初です。
しかし、日本では、四柱推命と言えば阿部泰山の泰山流です。
これが、関西を中心に爆発的に流行しました。
そして、この泰山流は用神を天干で取るため、その用神の天干を直接方位で取ろうとして、透派の奇門遁甲とセットでやる占い師が増えました。
また変わったところでは、三柱での四柱推命を極め、当時の赤線で働く女性に聞き回って命式の研究をした増永篤彦という人もいます。
関東では、高木乗の四柱推命が有名ではなかったでしょうか。
ただ、この占いの欠点は、運命が先天運で決められてしまうことです。
後天運の入る余地がないことです。
人が動いて運命が変わるということが盛り込まれていない点です。
また、命占なので、良くなる時期はわかっても、開運方法がありませんので、どうしても開運は、他の占いを頼るしかない点です。
それと占うのに時間がかかることです。
ただ、それでも、この四柱推命を好きな人は沢山います。
書籍も山ほど出ていますが、どの本も肝心かなめなところは隠してある本ばかりです。
そう言った意味で、本当に四柱推命を習得しようとすれば、どこかの流派で勉強しなければ取得は難しい占いだと思います。

紫微斗数

紫微斗数は、中国の宋の時代の陳希夷によって作られて占いとされています。
この占いは、生まれた時間を元にその人の先天運を出していく占いで、最近は日本でも四柱推命よりもこの紫微斗数をやる人が増えて来ました。
名前的にもイカしてますよね。
この占いは、日本では、近年になってやっと知られて来たという感じでしょうか。
日本でも歴史はまだ浅い占いです。
鮑黎明氏の「飛星紫微斗数闡秘」という本は有名です。
この本の丸パクリの本も出たぐらいですから。
尚、明澄透派だけは、紫微斗数ではなく、「紫薇斗数」として微の字に草冠が付く字を使っていて、紫微斗数とは違うものとしています。
この占いは、命宮、遷移宮、官禄宮、福徳宮、財帛宮、田宅宮、夫妻宮、兄弟宮、父母宮、子女宮、奴僕宮、疾厄宮と言った様に占う内容によって見るところが決まっているところが特徴です。
ただ、欠点としては、生まれた時間を元にするところで、生まれた時間がわからないと基本的には占えません。
もちろん、生まれた時間がわからない場合は、生まれた時間を推測する方法もあるにはありますが、それだと結局はアバウトになってしまいます。
あと、この占いも問題は、使う星が多いので作盤に時間がかかることです。
そして、時間短縮と面倒な作業を省くため、これをアプリやソフトでやる様な占い師も最近は増えている様ですが、困ったことです。

算命学

算命学の祖は鬼谷子とされています。名前は王翻(おうく)と言い、鬼谷に住んでいた先生なので、鬼谷子と呼ばれた人です。
そして中国の清国が滅んで、中華民国を経て中華人民共和国となる時に毛沢東による文化大革命の思想統制を恐れて清王朝に使えた儒学者で算命の導師の第十二代宗家、呉仁和師が長崎に亡命して来て、南蛮寺で教えだしました。
算命学には、北派算命と南派算命とがあり、北派算命は、この十二代宗家、呉仁和師の流れで、高尾義政氏が呉仁和師の形式的養子の形となり受け継ぎ、日本の算命学の代表的な集団となっています。そして呉仁和師には、兄弟弟子がいて、呂先生といい、台湾に亡命しましたが、その流れが南派(桃華)算命であり、台湾算命学とも呼ばれ、呂先生の弟子が西川満氏です。
高尾義政氏の全11冊からなる「原典算命学大系」と西川満氏の「人間の星」は有名です。
ただ、高尾義政氏は、この本でも算命学の一番の急所は書かずじまいで亡くなられたそうで、急所は誰にも継承しないまま墓場に持って行ってしまったそうです。
この算命学は、生年月日の3つを使って先天運を占うものですが、特長として七代先の先祖まで遡ってどんな先祖だかがわかるとされていますが、実際のところ誰もそれを証明することが出来ないところが笑いです。
この占いは、天冲殺で一時期物凄く流行りましたし、その言い方を変えて、手を変え品を変えて今でもやっている人が多いのも特徴です。
また、和泉宗章氏が「占い告発」なんて本を出したり、長嶋監督の辞任を外したことから、占い師を廃業したとして話題になりました。
ただ、問題は、この占いは、やる人が比較的早死にすると言うことです。
北派の宗家の高尾義政でさえ48才で亡くなりましたし、他にも比較的若くして亡くなられている人がいると言うことです。
天機を洩らしたことになったかどうかわかりませんが、命占をやって早死では、なんとも言えません。
また、開運の方法がないということも欠点の一つで、講演会で、高尾義政氏自身が、「開運は気学で・・・」と言われたそうです。

姓名判断

苗字と名前の字の画数でその人の一生の運勢を出す占いです。
子供の名前を付ける時に気にする人は多く居ます。
この占いを世の中に広めたのは、昭和の時代の熊崎健翁氏の五聖閣でしょう。
占い師を雇って下請けとして組織的にやる方法を考えだしたのもこの人です。
この占いは、姓名でその人の持って生まれた運がわかるので、手軽ですが、字の画数の数え方が旧字でないとダメとか、女性の様に結婚した場合、運勢をどう見るのか?など課題も残っています。
今では、姓名判断も色々な流派が出ています。
それと、名前の画数が良いひとからは、平凡な子しか生まれない。非凡な子は画数の悪い人から生まれると言われています。

方位占

方位学は得意な分野としては、やっぱり開運です。しかし気学等の様に一生の運勢を知ったり、好調な時期をしったり、適職や結婚運など個別の運勢を知ったりする命理占や卜占が出来るオールマイティーな占いもあるのが特徴です。ただ、どうしてもAかBのどちらかを選ぶという二択は不得意です。

気学

気学と言うと、「方位」ということで知られていますが、気学をきちんとやると、流年法によって四柱推命の様に大運が出せますし、先天運も見る事が出来ますので「命理」も出来ますし、同会法・四盤掛けによる「卜占」も可能です。
この気学は、園田真次郎先生が明治末期に九星術を簡単にして気学としました。この気学という言葉が生まれたのが大正13年のことです。最初は大気学としようとした様です。
それまで、占いと言うと色々と道具を出して占っているのに、園田真次郎先生のところでは、机に何も置いてないので不思議がられた様です。
この気学の強みは先天運を方位を用いて変えることが出来る後天運が使えると言うことです。
これが四柱推命などと大きく違うところです。
ですから、そう言った意味ではオールマイティーな占いと言えます。
そして、この占いの最大の利点は、四柱推命や奇門遁甲等と比べて、作盤に時間がかからないにもかかわらずきちんと勉強すれば、四柱推命と奇門遁甲のセットにも負けないくらいの精度で占えることです。
ただ、何と言っても30°60度で方位を取る所が特徴であり問題です
 

奇門遁甲

奇門遁甲は、諸葛孔明が赤壁の戦いで使った占術で季節外れの風を吹かしたとして有名です。
この話しが本当かどうかは知りませんが、602年に百済の僧観勒が日本に天文、遁甲、暦を伝えたということでも有名で大変古いものの様に感じますが、その当時の文献が存在していないので、その頃の遁甲がどんなものだったのかはわかりません。
この奇門遁甲は煙波釣叟歌が元とされ、この歌は宋の時代に趙晋(922~992年)が残した歌とされています。
また、遁甲は戦で使われた占いとされていますが、どこまで本当かはわかりません。
奇門遁甲の奇は、天干「甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸」の内、甲を覗いた9つの天干の内、乙、丙、丁は三奇で、乙は日奇、丙は月奇、丁は星奇とし、「奇」は「神奇、奇異、妙用」の意味です。
門は、八門のことで休門,生門,傷門,杜門,景門,死門,驚門,開門です。
また、遁甲は天干の内、甲と三奇を覗いた6つの天干戊、己、庚、辛、壬、癸を六儀とし、「甲子」は「戊」に遁れ(「甲子」は「戊」の中に隠れているの意,以下同じ),「甲戌」は「己」に遁れ,「甲申」は「庚」に遁れ,「甲午」は「辛」に遁れ,「甲辰」は「壬」に遁れ,「甲寅」は「癸」に遁れ,「六儀」はそれぞれ「六甲」の支配を受け、六儀は六甲の支配を受け、六甲が隠遁していると言う意味です。
これが奇門遁甲の意味です。
気学は遁甲の九宮から取ったものだと、佐藤六龍氏などは生前言ってましたが、これは台湾の透派の遁甲に九宮として九星が入っていたためそう言ったのですが、これは間違えです。
奇門遁甲は、江戸時代にも「八門遁甲」として存在してはいましたが、江戸時代は公に扱えるものではなく、明治時代になり、少しづつ出だしましたが、方位取りとしての開運法のみでした。
それが、中国から日本に入って来たのは、かなり最近です。だいたい第二次大戦後、昭和40年代の田中角栄氏が総理大臣になるまで、中国と日本は国交断絶していたので、中国本土の占いが入って来るはずがありません。
また、中国本土でも文化大革命以来、占いは一般庶民に禁止されていましたので、どうしても日本には台湾経由で入って来ざるを得なかったので、ある意味しょうがありません。
そして、これに尽力したのが、中村文聰先生や内藤文穏先生、張耀文先生です。
この奇門遁甲も日本では「方位」としての使い方が有名です。最初に中村文聰先生が紹介したのが方位だったのでしょうがありません。
しかし、本来は卜占を得意とする占いです。
中国書を見ると、卜占が多く書いてあります。
日本では卜占が書いてある本は、佐藤六龍氏と張耀文氏の「奇門遁甲大法心得」と黒門氏の「全伝 奇門遁甲」ぐらいでしょう。 
そして面白いのが、奇門命理です。
一応それらしく、命理を見ることが出来る様に奇門命理をあることはあるのですが、これが当たらない。
面白いくらい当たりません。
それと奇門遁甲の問題点は、天干の水と金に凶が多い点、四柱推命で用神が水と金の場合、それを取ろうとすると、取れる方位が少ないというところもあります。
奇門遁甲は通常時盤で占いますが、日家奇門と言われるのが、「金函玉鏡」です。
普通の奇門遁甲とは使う星も一部違うこともあります。
しかし奇門遁甲は諸葛孔明が使ったとか、戦で使われた占いという触れ込みがやっぱり人気の秘訣です。
また、戦で使った占いであるならば、入試試験や入社試験等の試験の方位には有効かもしれませんが、結婚や、家族団らんの方位に有効か?と言うと疑問な点があります。

干支九星

干支九星は言わずと知れた、「郭氏元経」を元に飯田雄康先生と望月治先生が昭和の時代に作った占いです。
方鑑の進化版ですが、基本は気学です。
難しいと感じる人が多いため、扱う占い師は少ないです。
しかし、これも方位は勿論、命理も流年法があり、卜占は鑑定盤があり、家相もありますからオールマイティーな占いです。
気学と違い、天干・地支を回すこと、方位は45°で取ることが特徴です。
詳細は、このホームページのトップページに書いてありますので、そちらをご覧ください。

風水

風水と一言で言っても、陰宅風水と陽宅風水があり、その中でも色々な流派にわかれていて、風水を方位術のくくりに入れて良いものなのか?も迷いました。

陰宅風水
陰宅風水は、中国の墓相です。
これは一応、東晋時代の郭璞が書いた「葬書」がルーツと良く言われていますが、現在の研究では、そこまで古くない本の様で、別の誰かが書いたものとされています。 
この陰宅風水は、亡くなった方の遺体を風水上良い場所(龍穴)において、その子孫に福を授けようというもので、土葬が基本ですので、日本の様に火葬の国では出来ません。
因みに、中国発展の為に毛沢東の遺体は、北京の龍穴に置かれているとのことです。

陽宅風水
陽宅風水は、家の風水ですから、中国版家相と言ったところです。
陽宅風水にも巒頭と理気というのがあり、巒頭は、山の形、水の流れなどを重視した風水で、理気は、その場の気を見て行う風水です。
この中の理気派には、大きく分けて三合派と三元派にわかれます。
日本では、風水と言うとちょっと前は、鮑黎明氏などの八宅風水が流行っていました。
これは、陰陽五要奇書の付録の八宅明鏡が元です。
しかし、現在はどちらかと言うと、三元派の中の元運派(飛星派)の使う玄空飛星という技法が主流です。
これは、建物の立向坐山を出して20年周期で向星と山星を飛ばして、その建物の気を判断する風水です。
この玄空飛星派の中にも色々な派がある様です。
因みに風水というと四神相応と日本では言われるくらい昔から重要視されていましたが、これは日本化した風水の最たるもので、中国ではほとんど重要視しません。
果たして中国の風水を風土の違う日本に持って来て、果たして合うのかがまだ研究の余地があるところです。
また、これを学ぶのは大変ですし、お金もかかる様です。

卜占

卜占の得意分野は何と言っても、困りごとの答えを求める時です。
どっちにしたら良いか?どれにしたら良いか?仕事上の悩み、家庭の悩み等、答えを出してくれます。
しかし、方位や命理は得意ではありませんというか、求めない方が良いです。
昔、易で方位を取って引越してドツボになった人を知っています。

周易

周易は、日本の占いの中で一番古くから流行っている占いです。
「四書五経」の中の「易経」を元に占う占いです。
易は、元々、「連山易」「帰蔵易」「周易」と3つの易がありましたが、今残っているのは「周易」のみということになりました。
ただ、この中で「帰蔵易」というのがありますが、この「帰」という字は漢の時代に出来た漢字らしく、この易が出来た当時は何と呼んでいたのかは、不明とのことで、後になって付けた名前だそうです。
そして、この「易経」は殆どの東洋占術の元となっているもので、日本では5世紀ごろ百済から伝来したと言われています。(実際の伝来年は、諸説あってはっきりしません。)
一応一つの説として継体天皇七年(513年)七月に百済から五経博士段楊爾(ごきょうはかせだんようじ)が送られて来た時が最初とする説です。
また、易経の構成要素である八卦は伏羲が作り、卦辞は文王が作り、爻辞をその子である周公が作り、十翼は孔子が書いたとされていますが、最近の研究ではそこまで古くない様です。
この易の中にある八卦が二つ重なって64の大成卦を作り、それに6爻づつつくので、64×6=384爻、それに乾為天と坤為地だけ1爻づつ用九と用六が付くので全部で386爻からなる爻辞があります。
この卦辞、爻辞、易象、彖傳、象傳などを使い現在、過去、未来を予測しながら、解決方まで見つけていく占いです。
日本では、易というと、代表的な易聖として江戸時代の新井白蛾、真勢中州、明治時代の高島嘉右衛門、昭和時代の加藤大岳等名だたる占い師が挙げられます。
それぞれが独特な占い方をしています。
江戸時代はどちらかと言うと爻辞には主眼をおいてない易であり、高島嘉右衛門当たりから爻辞を主体とする易が流行り出しましたが、この周易の卦の取り方から、解釈の仕方まで人それぞれで、無数のバリエーションがあります。
ただ、高島嘉右衛門の易は今見ても難しく、こんな解釈は絶対出来ないと思えるくらいのハイレベルの占いです。この人は伊藤博文が暗殺されるのが易でわかって本人がハルビンに行くのを止めたけれども行ってしまい、本当に暗殺されたとか、本人が死期を悟って占いをして、死後本人の道具箱を開けたら、自分が死ぬ時期が書いてある紙が出て来て死期を言い当てていたとかすごい話しが沢山あります。
また、現在の横浜市の高島町は高島嘉右衛門から取った町名であるとか、日本で最初にガス灯を付けたとか占い以外でもすごい人だった様です。
また、昭和の易聖である加藤大岳先生は、学者肌だった様で易の的中率が八割という凄い的中率をたたき出した人ですが、ご自分で編集されていた紀元書房の「易学研究」という小冊子が有名です。
これは、今でも古本で大量に出る時があります。
また、加藤大岳先生は多くの弟子を残し、優秀なお弟子さんも沢山いますが、お弟子さん達は、得てして加藤大岳先生が絶対的であり、加藤大岳先生の易と違うやり方や解釈をする易を排除してしまうという狭い世界を作り上げる集団と化したところが非常に残念なところです。
それでも恐らく、日本で一番古くから、一番流行った占いがこの「周易」ではないか?と思われます。
ただ、出来るのは、当然卜占のみです。
易は元々、蜥蜴、日月の意味があり、いずれにしても変化することを意味しています。
だから、変わっていく占いなのです。それが変爻です。
また易の中で三義(「変易」、「簡易」、「不易」)という言葉があり、
 変易は、すべての物は変わらないものはない
 簡易は、すべての物は簡単にできている
 不易は、すべての物には、変わらない、一定不変の理、法則、根源がある
という易の真理です。
易には、易卦を出す方法として、本筮法、中筮法、略筮法があり、その他紀藤元之介先生の考案した四遍筮などもあります。
易は古臭いイメージの占いですが、決してそんなことはありません。最後の最後に決められない時に周易で聞くと不思議と答えを出してくれます。そしてその答えは当たります。
私も周易の面白さがわかって来たのは、ほんの数年前です。

断易

断易は、別名五行易とも言われており、中国の戦国時代の鬼谷子(周の時代の楚の国の人で王翻(おうく)と言う人)が作ったとされています。
そして日本では、桜田虎門、馬場信武などが有名ですが、何といっても、九鬼盛隆が一番有名でしょう。
この占いは、易ではありますが、周易とは全く違い、爻辞も卦辞も使わず、六爻に十二支を振り(納甲)、それに五類六親を振ります。
易とは名ばかりで、単に大成卦の卦象を使っているだけです。
そして、用神、原神、忌神、仇神を決め、月日の十二支との五行の相生相尅を読んで占う占いで、名前に易とついていても周易とは全く違う占いです。
ただ、難点は決まり事がやたら多い点です。
また、暗動の取り方が流派によって若干違いがあたります。
これで???となってまいってしまう人も多いと思います。
この占いも、「この占いをやると末路はあわれだ」と言われ、資料も少なく、なかなか難しいことから、余りやる人はいませんでしたが、最近は多くの人が扱い出しています。
特に、九鬼盛隆の「断易精蘊」(九鬼盛隆は、途中で断易を止めて実家の宗教を継いで占いは辞めています。)や藤田善三郎の「卜筮正宗」の翻訳本や「増冊卜易」の翻訳本、菊地靖典:述 萩原考堂の「断易原典」「新・断易教室」 萩原孝堂・冨樹麗舟共編、藤田善三郎「諸口流奥義 五行易師弟問答」など良書が沢山出ています。
そして極めつけが、浜崎至洋の「断易精義」です。
この本は、元本の値段は200,000円ですが、それが今は18,000円で入手可能です。
この様に最近は、断易を学ぶ環境が整ってきていますし、教える先生も多くなっています。
この点についても昔は「断易は、密用するものであって人に教えるものではない」と言われていたので、人に教える先生も少なかった様です。
ただ、マニアックなだけに、習いに行くとそれなりに良い値段になる様です。
そして断易も面白いところは、「当たる時は怖いほど当たるが、ハズれる時は、かすりもしない」と言われるところです。
多分、用神の取り方を間違ったりするからでしょう。
私も前に鴨書店で干支九星の他に一つ占いをやれば良いと言われ、何をやったら良いか聞いたら、断易をやったほうが良いといわれましたが、未だ身についておりません。
トホホ・・・・

梅花心易

易の中では新しい部類です。と言っても宋の時代に出来たので決して新しくはありません。
この占いは、陳摶(陳希夷)から邵康節が伝授されて作られた占いです。
この邵康節は、梅花心易の他、皇極経世書なども作っています。
この占いの特徴は、道具を一切使わないことです。
目に前で起きた事や、ハッとした時の年月日時間で易卦を出し、略筮で占います。
そして、本卦を体と用に分け、之卦、互卦の内卦、外卦の八卦の相生相尅で判断していくという変わった占いです。
この体と用というのを用いるのがこの易の最大の特徴です。
ただ、占いの構造、考えはいたってシンプルな分、判断は難しい占いです。
この梅花心易の本としては、薮田曜山先生の「訳注 梅花心易 家伝邵康節先生心易卦数」高木乗先生の「梅花心易秘伝書」羽化仙人先生(渋江羽化)「梅花心易即座考」鎗田宗准「梅花心易」が有名でしょう。
この中の本で独自の占例を載せているのは、鎗田宗准「梅花心易」ぐらいです。
後の本は、皆昔の邵康節先生の占例の解説ばかりです。
ただ、それだけ現在この易をする人は本当に少ないということですし、教えている先生もごくわずかです。
私は、梅花心易をやるなら、周易をやります。
これは余りお勧めしません。

神綾学

これは余り知らない人の方が多いと思いますが、渡辺雅夫先生(日本数理易学会)が作った占いで、生年月日でその人の性格を出し、年齢と相談のあった年、月、日、時間等で卜占を行ない、必要な時は秒まで使います。
そして、方位も一応出すことが出来る占いですが、これはまだ新しい占いです。
命の場合は4桁の数字を出して占い、卜の場合は算段というものを使い3桁の数字を出して、現在、過去、未来と占いますが、本当に不思議な占いで、知る人ぞ知る占いです。
個人毎の毎日の運勢等も計算出来ますので、応用範囲は広いです。
似たものには、海上学聖先生の「聖数命理学」というのがありますが、数の出し方等に若干違いがあります。
使う人は本当に少ないです。
紙と鉛筆さえあれば、占える点がメリットでしょう。
ただ、一応卜占、命理、方位が出せますが、方位は若干??です。
後、先天運もダメです。
使う占い師が少ないため、神綾学の占いは若干料金高めの様です。
本も全く出ていません。
出ていても、占いがマスター出来るレベルの本ではありません。
いつか、この占いも資料を纏めないと・・・と思っています。
 

相術

相術は、一生の運気の流れや、個別の運勢(仕事運や結婚運等)を見たりするのに適しています。
反面、方位や卜占は出来ません。
開運の手段も家相や墓相はありますが、手相や顔相には基本的にはありません。
ただ、今は整形手術で顔相を変えると言うことも出来なくはないですが・・・。

手相

相術については、詳しくありませんが、古代インドがはじまりとされている様です。
日本では、ポピュラーな占いです。
街占でやっている占い師のイメージとして一番多いのが手相見ではないでしょうか。
ですから、占いと言うと手相を見てもらうと言う人は日本では一番多いと思います。
この手相にも東洋式と西洋式があります。
西洋式はキロに代表される様に生命線や運命線などの手の皴や線を見て運勢を見る見方ですが、東洋式は、手の丘を見る見方です。
しかし手相は年数が経てば代わります。また手相を変えようとして手に傷をつける様なとんでもない人もいる様です。
手相なんか・・・と言いたい気持ちもありますが、そのはおさえておきます。
しかし、日本人には浸透している占いですし、相手の手を触るので、コミュニケーションを取るには良い占いです。
ただ、近年は、手を触ることによってセクハラで訴えられる様な考えられないケースも出てきていますので、注意が必要です。
神保町の神田古本市では毎年手相の1,000円占いが集団で出ていましたが、当たるのでしょうか?。

顔相

顔相で有名なのは、水野南北で江戸時代中期(1760-1834年)の観相家で「節食開運説」という粗食で開運するという事をとなえた人です。
この水野南北という人は、風呂屋の三助や火葬場で仕事をしながら、人相の研究をして「南北相法」を完成させた人です。
顔相は、その他、目黒玄龍子先生、初代桜井大路先生、中村文聰先生、八木喜三朗先生等も有名です。
顔相では、初代桜井大路先生の弟子に初代高木乗先生がいます。
また、初代目黒玄龍子先生の弟子に大熊光山先生、中村文聰先生がいます。
この顔相は、顔の形、ほくろの位置、目、鼻、耳、眉毛の形などを見る他、顔の蒙色を見るのが難しいですが、なんといっても人の顔を見るだけで、運勢がわかるというところが、大きなメリットです。

家相

今知られている家相は、家の気がそこに住んでいる人に影響を与えると考えるもので、江戸時代の神谷古暦(1700年代後半の人です。)が元と言って良いでしょうが、この神谷古暦の一派のことをを「天眼流」と言いました。
それ以前の家相書は現存していません。
そして神谷古暦の「奥免許天眼流深秘伝」は水野南北に伝えられました。
また。こ神谷古暦の弟子で浅井金蘭という人がいて、この人は家相における「井田法」を使った人で、今の家相にない中宮を用いた人です。
これを取り上げたのが、望月治先生です。
「干支九星 家相学」という本には中宮論という項目があります。
今知られている家相は、八宅(八宮)で中宮がありませんが、浅井金蘭の家相では中宮があります。
そして、この中宮を使う井田法を守ったのが、家相における「中心切り」を言った、田中昌穂先生で、この人は、七尾博斎という伊予宇和島の人から七尾周斎という伊達藩(仙北地方の人)を経て真田信流軍学による家相活法変地法を伝授された明治の人で「家相真法秘要」などの本を書いています。
また、その他には、松浦東鶏や松浦琴鶴などもそれぞれ一派を作り、東鶏が神殺を多用したのに対し琴鶴は九星による家相を提唱しました。
因みに琴鶴は東鶏の甥で、東鶏の兄の息子が琴鶴で、最初は東鶏の元で方鑑を勉強していましたが、どうも違うのではないか?と考え東鶏の元を飛び出し、「オレは九星をやる」と言って一派を作った人です。
そして、この松浦琴鶴のお弟子さんに尾島碩聞がいて、その弟子に飯田天涯先生がいます。
この様に江戸時代中期から昭和初期ぐらいまでは、家相は大きな家等では、良く用いられましたが、現代の都会では家と家が密集してしまっており、なかなか家相の通り家を建てることが出来なかったり、マンション等の様に家相を無視した建築も多数あり、家相通り家を建てることが難しい世の中となっています。
 

墓相

日本で世に出された最も早い墓相書としては、文政 3 年(1820)の高田與淸による『墓相小言』が知られています。
また、日本独特の墓相説としては、中山通幽(12)(文久 3- 昭和 11、1863-1936)の「墓石磨き」があります。
これは無縁仏の墓を掃除して綺麗にして陰徳を積むというものです。
そして、この中山通幽の弟子が松崎整道先生です。
松崎整道(元治元 – 昭和 24、1864-1949)が大正 14 に「墓洗い」や、無縁塔の建立・供養、地蔵尊奉流、百万遍数珠繰りなどの実践を行う「功徳海地蔵講」を東京で結成し、後にこの会は「徳風会」となり、初代初代竹谷聡進先生へ引き継がれて、西日本を中心に展開しまたが、この「無縁仏供養」と「墓相」を東京に持ち込んだのは、先ほどの松崎整道先生です。
この「墓洗い」は、全く他人の墓地を訪れ、全ての墓と墓地内を洗い清めて、樒や線香などを手向ける「功徳積み」の実践です。
そして徳風会は関西では、この「墓洗い」と「吉相墓」を建てることで一時期盛んでした。
この墓相の基本は、「墓は子孫繁栄の基礎」という考え方です。
後、墓相では昭和初期に東京を中心にして、矢島俯仰先生や今井鴻象先生、鹿島大賢先生などの墓相家を輩出しますが、これらは「子孫繁栄のための正しいお墓」いわゆる「吉相墓」というものを中心にした墓相で、「墓洗い」や「「無縁仏供養」は重視していませんでした。
この中で異色の墓相家と言えば、矢島俯仰先生で神職であり墓相家であると言う人です。
ただ、墓相に関しても、近年は、墓じまいや後継者の問題、土地の問題等で、なかなか思う様に出来ないのが現状ですたれています。
墓相をやる占い師もほとんどいません。


いかかだったでしょうか?
東洋の占いについて、それぞれ占い毎に分けて、ちょっとした歴史、その占いの特徴、そして得意分野、不得意分野について解説してみました。
まだまだ解説し足りませんが、少しでも皆さんの今後の勉強と、良い占いとの出会いに繋がれば幸いです。
ご自分に合った占いを見つけて下さい。