平成の三四郎 古賀稔彦さん死去

柔道の「平成の三四郎」こと古賀稔彦さんが2021年3月24日にお亡くなりになりました。
享年53才という大変若い年齢でした。ご冥福をお祈りいたします。
ただ、平成の三四郎と言っても、今の人達は、姿三四郎の映画も見たことがない人が殆どでしょうが。

死亡原因は、「がん」とのことで何がんかという詳しい発表はない様ですが、去年5月に腎臓の一部摘出手術をしているとの報道がありますので、その当たりからの転移であると考えられます。
さて、この方がどの様なタイミングで亡くなったのか?を干支九星をする方々の為に流年法で見てみたいと思います。

生年月日は、1967年11月21日です。
命式は、丁未六白年 辛亥五黄月 己丑八白日生まれです。
解神 卯・子
傾斜宮は、乾宮傾斜と坤宮傾斜です。
対冲星(蔵星)は一白と二黒です。

古賀稔彦さんの命式盤
命式盤

亡くなったのは2021年3月ですから、53才4ケ月です。
つまり50才40ケ月です。
この時は、流年が巽宮で卯5ー未4ー寅7
     流月が坤宮で丑3ー巳2ー辰5
です。
しかし、去年の5月に腎臓摘出手術を受けてますので、10ケ月前になりますので、50才30ケ月の時に手術を受けています。
すると、流月が巽宮の卯5ー未4ー寅7の周期のところで手術をしていますので、年流と月流が同流となった時に手術をしています。
つまり、大きな変化期です。
この場合は、悪い変化です。
そして事象を取ると、五黄(がん)七赤(手術)四緑(長い)が破れているので(長くない)となります。
ただ、この巽宮の周期では、年盤で解神の卯が来ていますので、年流と月流が同流となっていても救われた様です。
しかし、一つだけの解神だったので、一時しのぎだったのか、こういう時に手術をして10ケ月の坤宮の丑3ー巳2ー辰5の周期でなくなりました。
坤宮はどうしても年命未と丑が対冲となり、月命亥と巳が対冲となるので、運気的にはつらい時期です。
そして、九星の事象は、五黄(がん)、二黒(墓)、三碧(声あって形なし)ですから、どうしても亡くなりやすい周期となっています。
そして、原因の腎臓は、対冲星(蔵星)の一白の事象です。対冲星の事象の病気が出る時は注意しないといけません。
そして、今年の盤を見ると

2021年盤
2021年盤

九星年命六白は中宮にいて八方塞がりであり、十二支年命は坤宮にあって三碧破れが乗っています。
つまり、三碧(おばけ)で破れてますから、ここでも亡くなってもおかしくない事象です。
この様な時期に古賀稔彦さんは亡くなられました。
意外と月流はこういう時に事象を出します。

しかし、逆に良い大きな変化期もあります。
それはバルセロナオリンピックで初めて金メダルを取った時です。
バルセロナオリンピックは1992年7月下旬から8月上旬です。
ですから、24才8ケ月から9ケ月の時に行われていますから20才56ケ月か57ケ月です。
すると、年流は、乾宮で申7アー子6ー酉9
    流月は、乾宮で申7アー子6ー酉9

となります。
この時七赤ア(怪我)がありましたが、六白と九紫があるので、こタイミングが変化期でもあり初の金メダルとなったのでしょう。
そしてこの時は、傾斜宮に載っていますので、星の意味が強くでます。
この時は、初の金メダルと良い方に出ました。
流年法はこの様に見て行くと面白いですよ。
九星の毎年の運勢だけで九星はこんなもんだと判断するなんてもったいないです。
それは、気学や干支九星の可能性をつぶすだけです。

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