厄年は本命が坎宮に入った年回り
厄年には、良く厄は祓いを日本人はやりますが、いったいこの厄年とは、気学的に言うとどういう年廻りなのでしょうか?
まず厄年は、女性33才、男性42才です。
ここで注意すべきは、この年齢は、あくまで数え年と言うことです。ですから満年齢は、この年齢から1才引いた年齢なので、満年齢だと女性32才、男性41才が、本厄となります。
そして、前厄が、満年齢で女性31才、男性40才、後厄が女性33才、男性42才です。
先ず、気学では、毎年、人の運気は、中宮→乾宮→兌宮→艮宮→離宮→坎宮→坤宮→震宮→巽宮→中宮と廻ります。
そして基本的には、数え年なので、生まれた年を1歳としますので、生まれた年が中宮として中宮からから数えます。
そこで先程の順序で中宮→乾宮→兌宮→艮宮→離宮→坎宮→坤宮→震宮→巽宮→中宮を1才、2才と数えて行くと、中宮(1才)→乾宮(2才)→兌宮(3才)→艮宮(4才)→離宮(5才)→坎宮(6才)→坤宮(7才)→震宮(8才)→巽宮(9才)→中宮(10才)となりますので、次の中宮の年は、プラス9才で19才、次の中宮の年はプラス9才で28才ですから、坎宮に入る年は、数え年の33才、また、次の中宮に入る年は、28才にプラス9才で37才、そして坎宮はプラス5才なので、42才となり、数え年42才も坎宮に入る年となります。
だから、この年廻りは、坎宮に自分の命が入る年廻りなので、以前にも書きました通り運気的には、どん底の年回りであり、何事も流れに任せて生活するのが楽な時なのです。もし何かするのであれば、準備段階に当てるのが良いのです。
そして出きれば、坤宮に自分の命が入る年廻りで新しい事を始めるのが良いのです。
しかし、人間は苦しい時、どん底の時程、もがいて動き回るため、ドツボにはまって行きます。
だから、どうしても坎宮に自分の命がいる年廻りでは、何かを始めようとしがちで、色々な困難に出会いますし、精神的にも苦しく感じることが多くありますので、我慢、忍耐が必要な時となります。
よって、本当に自分に実力があれば、この厄年を含めた坎宮の時から何かを始めても構いません、相当な苦労を覚悟していやる必要があります。
ただ、本当の厄年は、数え年で37才で自分の九星と本命十二支が中宮に入った年です。
ですから、年男なんて喜んでいる人がいますが、愚の骨頂で、自分の十二支でも九星でも中宮に入る年は、お山のてっぺんにいて、何かにつけて皆から注目されてる年なので、ここも坎宮の年とは違う苦しさがある年で、喜んでよいとは言えない年です。ましてや自分の九星と十二支の両方がいっぺんにお山のてっぺんに来る年回りですから、たまったものではありません。
そんなんで数え年37才(満36才)も厄年同様に注意して下さい。
ディスカッション
コメント一覧
ほたるさん、こんにちは
運気的には、そう見て結構だと思います。
>坎宮に命が入った時は、誰でも運気は、落ち目です。
八月は 年月日の3つが坎宮に命が入るときがありますが、
もっとも陰極まるタイミングということでしょうか?
>坎宮に命が入った時は、誰でも運気は、落ち目です。
お返事ありがとうございます。わかりました。
ほたるさん、勘違いしないで下さい。あくまで世間で言う厄年を気学で解釈したもので、気学に厄年がある訳では、ありません。坎宮に命が入った時は、誰でも運気は、落ち目です。
>満年齢だと女性32才、男性41
女性と男性厄年がなぜか違いますね、私たちあたりまえに受け入れていますが。
気学においては女性男性で使い分けないと思うのですがそのへんどうなんでしょう?
>ニ匝目の寅が出ます
ありがとうございます。
<寅年五黄>を本でみてみました。
体調に気を付けるよう父に伝えます。けっこうなお酒飲みですので…
タイミングを7月に予定していたのですが、少しあと伸ばしにできるか検討してみたいです。
追伸
ほたるさん、もう一つ付け加えます。
巳五黄年の人なら60才を過ぎると、ニ匝目の寅が出ます。
決して巳が消える訳ではありませんが、寅五黄年が強くなります。
だから、満72才も確かに厄年ではありますが、満36才の時よりも凶は軽いと考えて下さい。
多分何を言っているか余り理解出来ないかもしれませんが、そんなもんだぐらいに思って下さい。
ほたるさん、
はいそうです。満72歳も同じです。お体にお気を付けください。
離宮ー>坎宮ー>坤宮
>この年廻りは、坎宮に自分の命が入る年廻りなので、・・・
なるほどです。
たしかに坤宮に今私います。↓ 本厄
>ただ本当の厄年は、数え年で37才で自分の九星と本命十二支が中宮に入った年です
父は五黄で巳年うまれです。これすなわち厄年に相当する?ということでしょうか?
簡単に考えて下さい。例えば、今年巳五黄年ですよね。五黄の年の年盤は、真ん中に五黄が、来ますよね。十二支も同じです。だから、次に巳年が来るのは、12年後だし、五黄の年が来るのは、9年後です。そうすると、巳五黄年は、36年後にしか来ませんよね。
そういう意味です。
それと、気学でも、先代の山本光養先生なんかは、理論として、干支を回してますよ。ただし、望月流とは反対回りですけど。
スミマセン・・・。
十二支は外側にいるだけで中宮には入らない、という知識しかありません。
ただ、望月先生の本で、十二支を動かして中宮に入れる鑑定法があったような・・・位の知識があったので、質問してみたのです。
九星と十二支が一致する、とおっしゃいましたが、気学を学び始めた妻と一緒に「どういう意味?」と二人で頭を抱えております。
我ながら先が思いやられすぎてます、ハイ。
にんりゅうどうさん そんなに難しく考えなくても、例えば今年は癸巳五黄の年ですから、十二支と九星の最小公倍数が36だから、丁度九星と十二支が一致する年廻りと言うことです。
これに天干も加えると180年となってしまい、誰も生きてられませんね。
いつも貴重な記事ありがとうございます。
本命が中宮に入るのは全然理解できますが、十二支が中宮に入るのは干支九星術でしたか・・・?相変わらず不勉強でスミマセン。