干支九星の研究

干支九星の歴史


干支九星の歴史は意外と浅く、飯田天涯先生が昭和の始めに「方相学」を立ち上げて、そこ息子の飯田悟郎先生が飯田雄康(飯田祐久)を名乗り、望月治先生と共にそれまでの九星術や方相学のよりとこ取りをして、まとめ上げて出来たものです。
その証拠に望月治先生は自身の講義録で「これから方鑑をやります」と書いています。
なお、干支九星は飯田天涯先生の考えなどを多く取り入れていますが、飯田天涯先生は干支九星をしていたのではなく、「方相学」と言う干支九星の前身的なものをやっていました。

郭氏元経

郭氏元経は「陰陽五要奇書」で1632年に中国の明の時代に「選擇叢書集要」という名前で出版されました。
しかし、その当時は泣かず飛ばずでしたが、約160年後の清の時代になって1791年に「陰陽五要奇書」年後になると爆発的に人気が出て日本にも1794年には輸入されています。そして、1811年に翻刻されていますが、翻刻まで17年の歳月を要しています。
また、1814年には、陰陽頭安倍晴親序で第1集「郭氏元経」晋 郭璞と第2集「旋幾経」晋 趙載が斉政館版として出版されています。ただ、その後は出版されなかったようです。

ただ、「選擇叢書集要」の時には、次の通り第1集から第5集まででした。
●第1集「郭氏元経」晋 郭璞
●第2集「旋幾経」晋 趙載
●第3集「陽明按索」明 陳復心
●第4集「佐元直指」劉伯温
●第5集「三白寶海」幕講禅師
でしたが、「陰陽五要奇書」になってから、付録として
●「八宅明鏡」板蔵姑蘇胥門外楽真堂
が追加されました。
しかし、この「郭氏元経」は、いわゆる偽託現象のものであり、本当の作者は不詳ですが、郭璞の名前を借りて書いた本です。
それがわかるのは、
五行運用篇 第二に「五行運用最難明。四位長生五處詳。水在申、兮金占巳。火来寅上。木登明。」
とあります。
この文の「登明」は、六壬で出て来る言葉で十二支の亥を指しますが、比較的新しい言葉で、本来は「徴明」であったのが、宋の時代(960年から1279年)以降に「登明」に変わったもので、郭璞の生きた東晋の時代(317年から420年)と一致しません。
また、「六神用時篇 第六十三」に「大統暦月頭可査。」とあります。
この「大統暦」はあきらかに明の時代(1368年から1644年)の暦ですので、東晋の時代(317年から420年)のものではありません。
そして、日本では、江戸時代から現代にかけて、井上鶴洲、松浦東鶏、松浦琴鶴、尾島碩聞、中村文聰など名だたる占い師が読んでいる本です。

また、現代においては、望月治先生の「干支学原理」が「郭氏元経」の解説本でしたが、漢文主体の本のため、あまりよくわからないと言う人が続出しました。
その後、松本哲生先生が「郭氏元経」の講義録(一之巻から三之巻)までを出しています。
そして、拙著「郭氏元経 上巻」(白文・読み下し文・現代文・解説付き)が出版されています。

干支九星の理論

◆「九星は事象、吉凶は干支」ってどういうこと?

干支九星では「九星は事象、吉凶は十二支」とよく言います。
これについては、飯田天涯先生は、『昭和十五年庚辰六白歳方鑑』で以下の通り書いています。

「九星は其歳月に発生する事象及び活動の状態を表し、運気の盛衰は主として地支(十二支)の循環に因るものであるから、例えば本命九星は同じく一白水星でも、子歳生、卯歳生、午歳生、酉歳生と、地支本命の異なるに従って運気及び事象の現れ方に大いなる差異を生じる。依って各九星に地支を配し、三十六の本命に分けて各別に述べなければ、到底適切な運気の判断はできない。本書の記述はこの三十六別法によるものである。尚天干(十干)本命の異なるに従って、運気上にも若干の相違はあるが、其程度は至って軽微であるから、煩を避けて省略した。」

これが干支九星で言うところの「九星は事象、吉凶は十二支」と言われる根拠です。
つまり、「干支九星の九星は事象、十二支は吉凶」というのは、飯田天涯先生の弁であり、それを望月治先生が取り入れたことがわかります。


◆鑑定盤
鑑定盤とは、卜占をする場合に書く年月日時刻の盤のことです。
干支九星は占う場合、たとえ方位について聞かれたとしても、「その方位に行って良いかどうか」と鑑定盤を立てて、易神に聞いて、OKがでたら方位を出します。
鑑定盤は、干支九星の基本となる大切な盤です。
鑑定盤は、原則相談者の九星の本命で占いますが、登場人物で本命が同じ人がいたり、子供の場合は月命で見たりもします。

◆中免法・奥免法
中免法
干支九星の卜占で基本となる占法で、日盤で相談者の九星の本命を探して、そこから時盤、月盤、年盤の同じ宮に流して掛かる九星や十二支で判断する見方です。
まずは、この中免法で見ます。

奥免法
奥免法はいわゆる「日盤鑑定法」と言われる占術で、日盤で相談者の九星の本命を探して、その両隣の星と対冲の星を見て判断する占法で、あくまで中免法のサブとして見ます。
日盤だけで見ることができるので人気がありますが、やはり基本は中免法です。
また、斎藤擁道氏の「九星日盤鑑定要法(全)」は、干支九星の奥免法と多少見方が違いますが、凄く的中しているように書いてありますが、実は創作の鑑定例とも言われています。

◆時間の取り方
干支九星は十二刻で時間をとります。
当日23時から翌日23時までが1日となります。
よく四柱推命などで、午前0時で日干支を翌日に変えるような流派がありますが、干支九星は方鑑の流れですので、従来通り、23時で日か変わる方式を取っています。

◆北の取り方
方位を出す場合、基準となる北は「真北」つまり地球の地軸の北で取ります。
気学は、大方が「磁北」です。
いわゆる磁石の指す北です。
この「真北」と「磁北」の差のことを偏差と言います。
この間は5度から9度くらい日本の各地によって差が有ります。
東京で7.5度くらいです。
7.5度磁北は西に傾いています。
地域によっては、東に傾いている地域もありますが、日本では西に傾いています。
中でも一番、偏差が少ないのは、南鳥島の0.1度です。


◆方位の力の強弱

◆年月日時の盤について
私達が使っている年盤・月盤・日盤・時盤がどうなものなのかを考えてみました。

干支九星と気学との違い

干支九星と気学は、一見すると似通った占術に見えますが、その成り立ちと深層においては「似て非なるもの」と言わざるを得ません。

1. 気学の功罪:簡素化による普及とその限界

気学は、かつて「方鑑学」と呼ばれた複雑な九星術から、煩雑な要素を削ぎ落とし、一般大衆に受け入れやすく再編されたものです。園田真次郎先生がこれらを体系化したことで、九星術は爆発的に普及しました。
しかし、万人受けを狙った過度な簡素化は、同時に致命的な欠落も生みました。東洋占術の鉄則である「天・地・人」の三才のうち、気学は「人」を象徴する九星に特化しすぎたあまり、「天」である十干と「地」である十二支の活用を疎かにしてしまったのです。その結果、本来は三要素で判断すべき吉凶や事象のすべてを九星のみに委ねることとなり、占術としての整合性や的中率において、拭いきれない矛盾や物足りなさを抱えることとなりました。

2. 干支九星の優位性:天地人の完全なる統合

これに対し「干支九星」は、気学が切り捨ててしまった十干・十二支を再び九星と融合させ、占術が本来備えるべき「天・地・人」の完璧なサイクルを復元した学問です。
干支九星の最大の特徴は、役割分担の明確さにあります。

  • 吉凶(良いか悪いか): 十干と、特に「人が立脚する大地」を表す十二支が決定する。
  • 事象(何が起こるか): 九星がその具体的な形を映し出す。
    このように、吉凶を九星に依存させないことで、気学では曖昧になりがちな「鑑定結果の正否」や「現象の推移」が、驚くほど鮮明に浮かび上がることになります。

3. 卜占(ぼくせん)における視点の違い

鑑定の際のアプローチにも決定的な違いがあります。気学は「問題が起こった起点(過去)」に遡って方位や吉凶を確認しようとします。例えば、縁談であれば「その相手といつ知り合ったか」という過去の動機を重視します。
一方、干支九星は「その問いが発せられた瞬間」を宇宙の意志が顕現した時と捉え、鑑定を依頼された日時を起点とする「卜占」の技法を重視します。これは、気学が「自身の行動(方位取り)によって成功を得る」という開運術に特化した半面、微細な事象を読み解く卜占の機能を削ぎ落としてしまったことへの、干支九星側からの回答でもあります。

4. 鑑定盤の威力と断易への洞察

干支九星は、独自の「鑑定盤」を駆使することで、断易にも比肩する、あるいは凌駕するほどの高い的中率を誇ります。
巷では断易の的中率が称賛されることもありますが、断易は理論の硬直化により、時として柔軟性を欠き、結果が外れるケースも見受けられます。古来の優れた断易家が周易を併用していた事実が示す通り、一つの視点に固執することは占術の危うさでもあります。
その点、干支九星は「鑑定盤」という盤石な理論背景から一歩も出ることなく、複雑に絡み合う人事百般の問題を鮮やかに解き明かします。過去の優れた開運の知恵を網羅しつつ、論理的な一貫性を保っていることこそが、干支九星を至高の占術たらしめている理由なのです。

干支九星関連の本の紹介

望月治先生およびそのお弟子さんの本以外に干支九星を勉強する上で役立つ本です。

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Posted by 朱烈