「郭氏元経」 非用術篇 第六十四
「郭氏元経」の中の奇門遁甲についての一篇です。
まず、郭氏元経の中で「奇門遁甲」について書いてあるのは、
巻之八
・非用術篇 第六十四
巻之十
・遁甲地将篇 第七十五
・遁甲八卦篇 第七十六
の三篇です。
この内で、「非用術篇」では何が書いてあるか?を詳しく見てみると、以下の様になります。
(原文)
非用術篇 第六十四
八遁之中行氣候、大冬居坎、午離分。
軒后遺文。真可秘。笑来不是等閑文。
八門遁甲以五日為一元。三元為一氣。三氣四十五日為一節。
冬至起坎、夏至起離。
用度妙合天輪。蓋、縁軒轅皇帝伐蚩尤之所作也。
吉凶應騐、合於天人。真是玄秘。
非俗師浅薄、所能窺也。
飜来、遁甲名超接。五日一元、而用之。
以年續月、月續日。未知此法憑何依。
後人亦以五日一元、皆用遁甲之飜局。
来年下求月、月下求日時。妄言太歳官符、火血諸神殺。
各随變動毫無所拠。並是差謬、不可信之。
月建官符諸五行、皆従時下逐元生。
此術誤人、君莫信。用之何異唖夫盲。
と、たったこれだけの文なのです。
そして、これの読み下し文は以下の通りです。
(読み下し文)
非用術篇 第六十四
八遁の中、氣候を行り、大冬は坎に居し、午は離に分る。軒后の遺文、真に秘す可し。笑い来れば、是れ等閑の文にあらず。
八門遁甲は五日を以て一元と為す。三元は一氣と為す。三氣四十五日は一節と為す。冬至は坎より起こり、夏至は離より起こる。
用度の妙、天輪に合す。蓋し、軒轅皇帝の蚩尤を伐つの、作す所縁りて也。吉凶の應騐、天人に合す。真に是れ玄秘なり。
俗師の浅薄、能く窺う所に非ざる也。
飜り来れば、遁甲、名は超接。五日を一元にして、之を用う。年を以て月に續き、月は日に續く。未だ此の法の何れか憑り依るを知らず。
後人も亦五日一元を以て、皆遁甲の飜局を用ゆ。来る年の下に月を求め、月の下に日時を求む。妄りに太歳、官符、火血の諸神殺を言ふ。各々變動に随ひて、毫も拠る所無し。並びに是れ差謬にして、之を信ず可らず。
月建・官符・諸の五行、皆時の下に従り、元を逐ふて生ず。此の術は人を誤る。君は信ずる莫れ。之を用いるは、何くんぞ唖夫の盲なるに異ならん。
(現代文)
非用術篇 第六十四
(用いるべきではない術)
正しい八遁の術は、自然の気候の巡りに従うものであり、冬至(大冬)には北(坎)に位置し、夏至(午)には南(離)に区分される。これは黄帝(軒后)が残した教えであり、真に秘蔵すべきものである。後世の者が笑おうとも、これは決してなおざりにしてよい文章ではない。
八門遁甲は、五日間を一元とする。そして、三元(十五日)を一氣とする。また、三気(四十五日)は一節とする。そして、冬至の運用は坎から始まり、夏至は離から始まる。
その活用の妙は、天体の運行と合致している。そもそもこれは、軒轅皇帝が蚩尤を討伐した際の所作(制定)に基づいているのである。そして、吉凶現れ方は天理と人事に合致している。本当にこれは奥深い神秘である。
凡庸な先生の浅はかな知恵でうかがい知れるようなものではない。
ところが話が変わって、今の遁甲は「超接」という名がある。五日を一元として用いる点は同じだが、年から月を導き、月から日へと繋いでいく。私には、この方法が一体何を根拠にしているのかがいまだにわからない。
後世の人々も同じく五日を一元と言うが、みな盤を回転させるだけの翻局の遁甲を用いている。来年の運勢から月を求め、その月の下に日や時間を求める。そして、むやみに太歳、官符、火血といったさまざまな神殺(凶神)を口にする。それらは状況によって勝手に変わり、少しの根拠もない。これらはすべて間違いであり、これを信じてはならない。
月建や官符のさまざまな五行の説は、すべて適当な時間から元を追いかけて生じさせたものである。このような術は、人を誤らせるので、あなたは決して信じてはならない。この術を用いるのは、口の利けない者がさらに目が見えない状態でいるのと、何の違いがあるだろうか。
(解説)
まず、この「非用術篇 第六十四」のタイトルの「非用術篇」というタイトルは、「用いるべきではない術」と訳しましたがその真意は、「世の中で『すごい術だ』と言われているけれども、実は理屈が通っていないインチキだから、絶対に信じてはいけない術」という意味です。
1.正統の定義 宇宙のサイクルへの合致
「八遁の中、気候を行り、大冬は坎に居し、午は離に分る。軒后の遺文、真に秘すべし。」
・ここで説かれているのは、遁甲術の根本は「天体の運行(二十四節気)」に完全に同期しなければならないという原則です。
・「大冬(冬至)」は北の「坎」の卦からエネルギーが始まり、「午(夏至)」は南の「離」の卦からエネルギーが始まります。これは単なる方位取りではなく、太陽と地球の位置関係という「自然界の物理的な気の転換」を術の基盤にしなさいと命じています。
・軒后(黄帝)の遺文を、伝説上の聖王である黄帝が定めた「絶対的な真理」であると定義し、ここから外れるものはすべて偽物であると強く宣言しています。
2「超神接気法」の批判
「飜り来れば、遁甲、名は超接。五日を一元にして、之を用う。年を以て月に續き、月は日に續く。未だ此の法の何れか憑り依るを知らず」
ここが『郭氏元経』の理論的な独自性が最も現れる部分です。
・ 奇門遁甲には、暦(365.242189日)と遁甲のサイクル(360日)のズレを調整する「超接法(置閏法の一種)」という複雑な計算技法があります。
・『郭氏元経』は、この超神接気法を「後世の人間が無理やり帳尻を合わせるために作った、不自然な人工的操作」であると批判します。年から月、月から日へと機械的に数字を繋いでいくやり方は、実際の天体の動きと乖離しており、「計算のための計算」になっていて根拠がないと断じています。
3.神殺(オカルト要素)の完全排除
「月建・官符・諸の五行、皆時の下より元を逐うて生ず。此の術、人を誤る、君信ずること莫れ。」
・「月建」や「官符」と言った、方位に住むとされる吉凶の神々(神殺)を擬人化して恐れるやり方を否定しています。
・占いの結果は、本来「時(タイミング)」と「元(五日ごとの気の単位)」という純粋な数理から導き出されるべきものであり、後付けで「この方位には悪い神がいる」といった名前(神殺)を付けて一喜一憂するのは、理論の本質を見失っていると説きます。
・理論的な根拠を持たずに、ただ複雑な計算や迷信を信じて術を使う者は「声も出せず目も見えない状態(=情報の入力も出力も遮断された絶望的な状態)」で運命を切り開こうとする愚か者である、という非常に厳しい言葉で締めくくっています。
この一篇の結論
1.遁甲術は、暦の数字遊びではなく、冬至・夏至といった「天体の実態」に即したものでなければならない。
2.人間が勝手に作り出した調整ルール(超接)や、人を怖がらせるための迷信(神殺)は、術の精度を落とすノイズである。
3.根拠のない理論を盲信することは、破滅を招く。術者は常に「その理屈に自然界の裏付けがあるか」を問い続けなければならない。
つまり、「迷信を排し、宇宙の物理法則としての占術を確立しようとする、極めてストイックな教理」を説いた一篇であると言えます。
これが、今再度編集し直している「郭氏元経」の中身の一部です。
以前より読みやすく、また、解説も分かりやすく直しました。
いずれ出版すると思いますが、まさ先ですので、まだまだ手が入ること思います。







ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません