昔の九星(三白寶海の九星)
old-9star九星を古に遡ると、今と違う使い方をしている例があります。
まず、九星自体に吉凶を持たせ、季節の旺相囚死休によって更に吉なのか?凶なのか?と言う使い方です。
一白:吉
二黒:凶
三碧:凶
四緑:凶
五黄:吉/凶
六白:吉
七赤:凶
八白:吉
九紫:小吉
そして五黄は、陽遁、陰遁とどの宮にいるか?によって吉凶がありました。
つまり、五黄でも使える時があったのです。
また、旺相囚死休については、
吉星が旺相なら、大吉
吉星が囚死なら、吉でもなく、凶でもない。
凶星が旺相なら、大凶
凶星が囚死なら、災いは、消滅する。
休は、半吉、半凶で、前半は災い、後半に吉祥が有る。
と言った具合です。
今の気学とは、全く違う使い方で、非常に単純な使い方です。
どちらかと言うと、透派の奇門遁甲の九宮に似ています。
もちろんこれに干支が付きますので、複雑になって行きますが・・・
でも見るべきものはあります。
ディスカッション
コメント一覧
youさん
安倍晴親だったのですね。成親と勘違いしていました。だから時代が違うなーと思っていました。ところで齊政館版の陰陽五要奇書なら、この間本屋で見せてもらいました。
ただこの齊政館版は未完成なので、買いませんでしたが、5万円でした。
安倍晴親が齊政館という土御門家家塾で陰陽五要奇書、通絀類情を講義していたみたいです。
私は対して詳しく無いです。たまたま、孫引きで読んでただけなので…。
朱烈さんの方が心髄に勉強されていていつも勉強させて頂いてます。
郭氏元経っていったい誰が書いたの?記事は凄いです。
youさん
陰陽五要奇書は、成立が多分明の時代なので日本だと戦後時代から江戸時代初期ぐらいですから安倍成親とは、時代が違うのではないですか?
でも、前の書き込みと言い、結構詳しいんですね。
頭がさがります。
平安時代の公家がしていた方違えはどんな物だったのかなぁと気になります。
安倍晴親は陰陽五要奇書、通絀類情を私塾で講義していましたが
暦や占いは安倍家が昔から使っていたもので占術してたみたいです。
また、武田信玄が家臣の判の兵庫は安倍晴明の流れを引く陰陽師博士だったそうで
兵法書には方位術が載ってるんだそうです。
http://blogs.yahoo.co.jp/jakobun/folder/105271.html
↑松江藩の家老屋敷から出土した松浦東鶏氏が埋めた物だそうです。
化殺風水のような事をされていたようで興味深いです。
youさん
気学が開発されて九星は明らかに変化しました。でも気学成立以前でも引っ越し等の移動や方違え等はあり、行われていた様です。
ただ家相が主であった様ですけど。
また気学は九星術を多くの人にわかりやすくした点では、ものすごく価値があるものですが、反面、くさいものに蓋的な面もありますので、すべてが良いというわけではなく、吉方をとっても効果が出ない、逆に凶事が出てしまう等もあるわけです。
元々は三白九紫(一白、六白、八白、九紫)を吉方位として
大将軍、金神とかの神殺で吉凶を出して使っていたみたいですね。
明治時代に(九星学)九星単独で使うようになり
大正時代に気学が成立して移動が主になっていったようですね。