古墳の中が水銀朱で真っ赤

2020年8月6日

先日新聞を見ていて桜井茶臼山古墳という前方後円墳の記事がありました。
場所は奈良県桜井市というところですが、何でも、1949年に発掘調査が行われて以来、60年ぶりに再発掘したそうです。
そして発見されたのが、木棺の回りの水銀朱(辰砂)一色に塗られた竪穴式石室です。
そして私が何より興味を持ったのは、この竪穴式石室内部全体に200kg以上の水銀朱(辰砂)を塗ってあることです。
何でもその石室の広さが、南北6.75m 東西1.27m 高さ1.7mだそうで、この広さの壁を全て朱で塗っていて、石室を上から蓋していた、12枚の天井石も、全て朱を塗ったものを使用するという徹底ぶりというのですから、相当な権力者の墓です。
既にこの時代に朱というもので「おさえ」「魔除け」をしていたのでしょうか?
よく空海と水銀の関係は耳にしますが、それよりもずっと昔に日本人は、既に朱を使っていたのです。
ヤマト朝廷の時代の墓だそうで、
・この頃どの様に朱を使っていたのか?
・どこでこれだけの量の朱を採ったのか?
・当時の製法は?
等興味はつきません。
干支九星をする現代の私達も何かとこの水銀朱「丹生」について、使用方法を模索していますが、はっきとしたことは霧の中です。ただ、干支九星をすると、赤石のよる除け(赤石に水をかけたり、赤石で火打ちをしたり等)だったり、印鑑を押す際は本物の朱を使ったり、昔の鏡で朱を使ったものを使ったり、と色々な形で朱を使う様になりますので、自然とこの様な記事には注意が引かれます。ですから本当にすごい発見です。

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